私がこの仕事を選んだ理由とこれからの使命【自分の人生を生きよう】

精神科看護師のさっちんです。

私が精神科領域に携わって7年。
ここまであっという間でした。

私自身、仕事でこころと身体を壊しどん底の時期がありました。
そこからどのように変わってきたのか、
自分らしくあるためにどんな行動をしてきたのか、
どうしてこの仕事に関わり続けるのか、私の使命、そんなお話をしていこうと思います。

 

 

何不自由なく育った幼少期~

人見知り&引っ込み思案

1991年生まれ。
父と母と兄の4人兄弟。

サラリーマンと父と専業主婦の母、ごく普通の一般的な家庭で育ちました。

小さいろの私は、極度の人見知りで常に母の後ろに隠れているような引っ込み思案な子。

一番の思い出は初めての幼稚園。
家まで迎えに来てくれた幼稚園バスになかなか乗れなくて、
母親にしがみつく私を先生がひっぺがしてバスに乗せられたのを覚えています笑

母のある言葉で変わった自分

小さいころの私は今より生意気だった。
よく言えば自分の意見をがんがん言ってた気がする。

母と口論することも多少なりともあった。
そこで言われた言葉は今でも覚えています。

「あぁ言えばこういう、口答えばっかり」

小学生の私からしたら自分の気持ちや考えを言っただけ、いや言えただけ。
どうしてそんな風に受け止められるんだろう、と釈然としない気持ちでした。

受け止めてもらえない、そんな悲しい気持ちだったのかもしれません。

そしてだんだん自分の意見や考えを言わなくなっていったように思います。
大人になっても人前で意見を言うのが苦手だったり怖いと思う根底には、
小学生のこの体験が影響しているのかなと感じています。

 

私が看護師を目指した理由

両親の不仲な時期

幼少期は何不自由なく育ててもらってきた。
けど、だんだん父と母の間でいざこざが出始め、私は、母の父に対するネガティブな気持ちの聞き役になっていた。

母と父が言い争うこともしょっちゅう。
そんな声を聞くのが嫌で、布団にこもっていたことを思い出します。
家のどこにいても安心できない、緊張感のある、そんな時期でした。

離婚の危機もあったけど、母の経済的自立も難しいためできず。
経済的に自立できない母が泣きながら”離婚はできない”、と話していたのを思い出します。

そんな母の背中をみていたけど、当時の私はどうすることもできず。
今思えば、母のどうすることもできない無力さを自分に重ねていたんだと思います。

いつのまにか家が居心地の良いものではなくなっていき、
早く家を出たい、と思うようになりました。

 

経済的に自立したかった

早く家を出たい、そう思ったあと考えたのが、経済的自立でした。

看護師を目指した理由は、きれいな理由じゃありません。
「経済的に自立したい」これが一番大きかったと思います。

手に職をつけて資格をとって安定したもの。
高校生の時にそう考えて思い浮かんだのが
「看護師」でした。

経済的な自立がなければ、自分や周りの人を守れない。
たくさんの選択肢をもつことができない。

そんな思いを母をみながら強く感じました。

 

心も身体も壊した4年間

自分の軸がなかった時代

私が新卒で就職したのは精神科の救急病棟。
医療ドラマであるような救急現場の精神科バージョンです。

24時入院を受け入れていて、起きている間ずっと大声で怒鳴り続けたり、
看護師を罵倒したり、時には暴力にまで及んだり。
そんな患者さんが多くいる病棟でした。

私自身も何度も怒鳴られ理不尽なことで罵声を浴びせられ、
時には平手打ちをされたり、そんな経験をしてきました。

そして、職場の人間関係は上下関係が厳しく仲の良いグループに馴染めなければつまはじきにされるようなところでした。

その時は、「先輩に嫌われたくない」
この一点のみでした。
自分のやりたいことではなくて、「先輩に嫌われない」かどうかが全ての判断軸でした。

そんな自分が情けなくて嫌で仕方がなかったけど、それでも先輩に嫌われたら働けなくなるんじゃないか、という不安が強くて自分の気持ちを押し殺して働いていました。

24時間仕事のことで頭がいっぱい。
先輩に言われた些細な言葉を24時間、何日も引きずっていました。

食生活も乱れて、毎日お惣菜やコンビニご飯。

夜は眠れず、睡眠薬も効かない。
寝る前は目が覚めたら仕事に行くことを想像して枕を濡らし、
仕事に行く日の朝は涙が出て、病棟に入る扉の前で立ちすくみなかなか中に入れなかった日々もありました。
ずる休みをしたこともあります。

休みの日はずっと寝ていて、何もできない自分にさらに自己嫌悪。
母は心配して私の家に何度も来てくれました。

職場では自分の表情を消すために毎日マスクをつける日々。
自分と先輩との空間に自分を守るための”壁”が欲しかったんだと思います。

今思えば、たった1枚のマスクで自分のこころを守っていたように感じます。

 

やりたいことがわからない空っぽな私

そんな状況で過ごしていた看護師時代。
けど、ある日そんな先輩たちがどんどん違う部署に異動になったんです。
理由はいろいろありました。

私が気にして気にして止まなかった先輩たちがいなくなった。
それと同時に私も空っぽになった気がしました。

私の中には”先輩に嫌われない”ための判断軸でいっぱいだったので、
”私の軸”がなかったんです。
だからそんな先輩たちがいなくなった今、私の中には何も残っていませんでした。

自分らしさはなく、私は「他人」でいっぱいだったんです。

すると今までさんざん先輩たちの目を気にしていた自分が馬鹿らしくなり。
心も身体もぼろぼろになったのに、自分の中には何も残っていない。

ずっと他人軸で生活してきたので、自分が何をやりたいのか、わからなくなっていました。

どうしてもっと自分を大事にしてあげられなかったんだろうって。

そう思ってからの行動は早かったです。

心の奥底に眠る「本当の自分」に出会うために動きました。

 

退職して大学院へ進学

精神について学びなおす

私は4年間精神科で働いていたけど、精神については全然学んでこなかったと思います。
学んだのは、「どうしたら先輩たちに嫌われないか」ということ。

だから、もう一度精神について、こころについて学びなおしたいと思い、大学院に進学。
そして、私自身生きづらさを感じていました。
自分のこころを知りたい、こんな思いをする人を増やしたくない、そんな思いで大学院で学び、
自分と向き合う時間を作りたかったんだと思います。

尊敬する教授や素敵な仲間に出会え、心と身体を回復させた時間でもありました。

自分をみつめなおす

大学院での2年間は自分を見つめなおす時間でもありました。
私は本当はどんなことに興味があって何をやりたいのか。
そんなことを考える時間でした。

そして見えてきたのが私が精神科が好きな理由です。

 

私が精神科にいる理由

誰かの居場所になれる存在

これまでの人生を振り返ると、私は良くも悪くも人の影響をよく受けてきました。
そして人が純粋に好きということ。

 

両親の関係性、職場の人間関係、
大学院での仲間との出会い

 

これらを振り返っても、自分の周囲の人間関係に影響を受けてきたなと感じます。

なので、めちゃくちゃ単純なんですが、私の周囲にいる人たちがハッピーだと私もハッピーになるんです。逆もしかりです。

 

精神科で働いていると、いろんな人たちに出会います。

そして、みんな一言では言い表せないほどの経験と感情を持っています。
どんな感情を抱いていても、私はそれはとても”その人らしい、愛おしい感情だ”と感じるんです。
想像もできないような過酷な経験をしている人も多く、そんな人たちに私ができることはほんとに限られています。

けれど、その人が辛くなってふと振り返った時にそっと立って見守っている人がいる、
そんな存在でありたいなと思い、この仕事を続けています。

 

こころの健康を大事にしてほしい

こころがしんどくなってしまう人の中には、周りを優先させすぎて自分を押し殺してしまう人が多いように思います。

けれど、押し殺して周りを優先した先に待っている結果に責任を持つのはあくまで自分。
周囲はあなたがどうなろうと責任をとってはくれません。

そうして自分を押し殺して、我慢に我慢を重ねて心も身体も崩してしまってから、
やっとのことでSOSを出す人がほんとに多いと思います。

そこまでして自分を押し殺してしまうのはなんでなんだろう。

そこには「自分を大事にできない」があるなと思います。
私もそうでした。

心も身体もぼろぼろになって、その時失った自信や自分を責めるクセなどはすぐには消えません。

「普通の人間になりたい」

私とほとんど年齢の変わらない女性が言った言葉です。
衝撃的でした。

この方は、長い間自分の気持ちに蓋をして後回しにし、周りを優先させ続けてきた過去があります。
そうするうちに自分の本当の気持ちに気づけず心も身体も少しバランスを崩してしまいました。

こんな思いをせずに済む人を少しでも減らしたい、自分が自分のままで在れることの素晴らしさを感じてほしい、と強く思いました。

 

自分らしく在ってほしい

 

あなたがあなたらしく在れるときはどんなときですか?

 

✔良い学校に行かないといけない
✔お金をたくさんかせがないといけない
✔もっと綺麗にならないといけない
✔もっと頑張らないといけない
✔もっと人の役に立たないといけない
こんなことを考えるとき、ありませんか。
私もまだまだあります。
でもでも、人には誰にでも”その人らしさ”があると思っています。
けれど自分ではなかなか気づけないもの。

これまで病院でいろんな人と出会ってくる中で、
多くの人が周りの期待に応えて頑張りすぎ疲れてしまった人がほんとうに多かったです。
 
自分は何をやりたいのか?
そのためにどうしたらいいのか?
なぜやりたいことができないのか?
その障害となっているものは何なのか?
その人がその人らしくあるためにはどうするとよいのかを一つずつ紐解いていきます。

その過程で、患者さんの表情はどんどん前向きに、活き活きしたものに変わっていきます。
その様子が私の中でとても印象に残っています。

これが、私の使命にも繋がっていきます。

 

誰にもある自分らしさ

名前の漢字に込められた意味

自分の名前の漢字の意味を調べたことってありますか?

私は、「早紀」というんですが、こんな意味があります。

【早】
いつまでも若々しい、生命力あふれる、人の頭上に太陽が昇り始める朝

【紀】
枝が分かれ新しい道、転じる、糸口、ロマン、まっすぐ素直、おおらか、
間違った道を正せる人

 

漢字一つ一つには由来や成り立ちがあります。
そして、その名前をもつその人らしさを表す部分でもあると思います。

そして勝手に「私の使命」を考えました!笑

いつまでも若々しく生命力に溢れ、解決の糸口をみつけ自分も相手も間違ったことを正せるまっすぐ素直なひと
 
これが私の使命です!

みなさんにはどんな使命がありますか?

 

自分らしい人生を送るための伴走者でありたい

これまでに人の相談に乗ってくる中で嬉しいと感じる瞬間があります。

それは、その人が自分の気持ちに正直な選択ができたとき、です。
そんな選択ができた人は、どこかスッキリしたような今までにない晴れやかな顔をしていました。

そして、「さっちんさんのおかげで自分の希望を叶えることができました」と言ってもらえ、
一緒に喜んだのを覚えています。
その方は、定期的に気持ちの整理をすることの大切さを実感し、
その後も定期的に私との面談を重ねていきました。

 

こんな困りごと、ありませんか?

✔職場の人間関係に困っているけどどうしたらいいかわからない
✔やりたいことがあるけど家族や職場、周りのひとに反対されてる
✔落ち込む日々が続いてどうしたらいいかわからない
✔相談したいことがあるけど身近に話せる人がいない
✔気持ちがぐるぐるして一歩が踏み出せない

 
こんな時、一人だとどうしてもぐるぐるから抜け出せないことってありませんか?
人に話すことで気持ちや考えが整理され、自分でも気づかなかった新たな発見が得られることがあります。
それは、”人に話す”という行為が自分のことを客観視することに繋がるからです。
だから相手から質問を受けてそれに答えるために考える。うんと考える。

それを繰り返すことで、自分の本当の気持ちや考えに気づいていくことができるんです。
 
一人だと抜け出せない迷路を、一緒に走りながら整理して自分らしさを見つけていく。
そんな存在でありたと思っています。
 

自分らしくあれる人が次の人の背中を支える

自分らしく在れることを経験したひとは、過去の自分のように困っている人の背中をそっと支えてあげることもできるんじゃないかなと思います。

そして自分らしく在れる人の姿を見てきっと勇気づけられる人が必ずいます。

大きなことはできないかもしれないけど、そっと隣にいて見守る。
これだけでも救われる人がいると思います。

そんな良い連鎖が生まれると良いなと思っています。

 

精神科看護師としての私の使命

自分らしく在れる人を増やす

私は今、とても楽しいです。
少しずつ自分らしさを見つけて取り戻しています。

2年前の私はブログを始めてこんな記事を書いているなんて夢にも思っていませんでした。

私が看護師として働いた最初の4年間は、今思えば良い経験だったと思える部分もあるけど、
やはり無いほうが良かったと思うことも多いです。

自信を失ったり、自分を責めたりする経験は、その人を強くするかもしれないけど、やっぱり無くてもいい経験。

自分のやりたいことがある、けど周囲の人間関係を気にして決断できず我慢している。
それはとてももったいない。
自分を押し殺し続けていると、本当の自分が見えなくなっていきます。

自分を否定し制限をかけチャンスを逃し、自分の人生に言い訳をする。

そんな人を少しでも減らしたい、自分らしく過ごせる人を増やしたいと思っています。

あなたの人生には誰も責任を持ってくれません。

 

こころの悩みに対する偏見をなくす

私自身、こころも身体もぼろぼろになった時、どうしたらいいかわからなくて、
誰にどう相談していいかみえなくてただただしんどい時がありました。

そして、精神科のクリニックにかかるのにも抵抗がありました。
最初は睡眠薬を飲むことにも抵抗があったんです。

まさに、私の中に”こころの不調に対する偏見”があったんだと思います。

偏見やネガティブなイメージが無くなることは無いと思います。
けれど、もっと身近に感じてもらうことはできるはず。

「ちょっと風邪ひいたからクリニック行ってくる」
こんな感覚で、精神科・心療科などのクリニック、メンタルサービスを利用できたらいいなと。

自分の気持ち・こころを大事にすることを当たり前に、そんな社会を目指したいと思っています。

 

母への恩返し

早くに結婚して家のことすべてと子供二人を育ててくれた母。
今は兄も私も独立し、父とそれなりに仲良く暮らしてる。

ずっと専業主婦できて、あまり外の世界を見たことがない母。
経済力があったらまた違ったのかもしれない。

やりたいことをやらせてもらってきて、私がしんどいときには駆けつけてきてくれて。
きっと我慢してきたこともたくさんあると思います。

私自身がもっと自由な時間とお金をもてるようになり、母にいろんな世界を体験させてあげたい、という夢があります。

まずは海外旅行に一緒に行くのが目標です♪

 

最後に-自分らしい人生を-

ここまで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございます。

私は少しずつ自分らしさを取り戻し、私の周りの環境は大きく変化してきました。お互いを尊重し成長しあえる仲間と出会えることができ、メンタルサービスをもっと身近に利用してもらえるように仲間と共に動き出しました。

私がこうやって変わってこれたのも、そのままの私を大切にしてくれる仲間に出会えたから。
自分に向き合い続けたから。

あなたらしさは必ずあります。

こころの健康を取り戻し自分らしさを見つけていくことで、あなたが本当にやりたいこと、奥底に眠っている本当の気持ちに出会えます。
そして心から望むことに向けて行動を起こすことができるようになります。

他人のためではなく、自分のための人生を一緒に歩みましょう。

自分らしい人生を送るためのマインドについて配信しています。
ご登録してもらえるとめっちゃ喜びます^

 

何かのお役に立てると嬉しいです。

 

 

 

最新情報をチェックしよう!